うえお久光『紫色のクオリア』

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)

 読み終えてから、クーラーが弱く効いた部屋で目を瞑ってぼおっとしていると心地よかった。無限の可能性を武器に、広大な時間と空間の中を旅しながら正しい答えを求めつづけたマナブの世界は、広がりと閉塞、純粋さと自家中毒がどこまでも混ざり合っている。その濃密さを、夏の強い日差しと遠い蝉の鳴き声が無時間的な心地よい膜に包んでくれるようで、実によい夏休み気分にしてくれるなあ、気持ちよくうたた寝できるなあと。
 うえお氏の文体はもともと言葉が軽いのだから、これくらい妄念に取り憑かれたような強い物語を語ってみてちょうど釣り合いが取れると思う。欲を言えば、もっと硬派でもっと滑りの悪い文体でもいいくらいだ。イーガンの小説をラノベでやったようなところがあるけど、この物語は女の子二人の物語になっているわけで、欲望の生々しさが百合的に昇華されているようで、幻想的な儚い重みの妄執となっているのがまた心地よい。何を言っているのか自分でもよく分からないが、幻のアリスシナリオや加則シナリオや幾多の平行世界がある中で、主人公が選んだ「現在」の世界だけが特別で、その他の未来も過去も平行世界もすべては派生的なものであり、そうした中で彼女が辿り着いた幸せが、どこか夢のような頼りなさがあったとしても、とてもまぶしくてぼおっとしてしまうというか。
 解決法が王道過ぎるとかそういう突っ込みはとりあえずはいいです。どうにかして物語は収束させなければいけないわけだし、革新的でないと気がすまないほどに今の自分はグルメなわけでもないし。未来も過去も現在から枝分かれしているという世界観のイメージと、それだけでは辿り着けなかったほどの幸せ物語、その心地よさ(あるいは読書の楽しみのクオリア)を覚えておきたいと思う。いつもながらゴテゴテした言葉遣いになってしまったが、とにかくそういうこと。