Scarlett (65)

 ねこねこソフト作品で個人的に一番思い入れがあって、タイトル的に本作と対比させることが出来そうな「朱」を基点に、感想的なものをつらつらと。朱が徹底的に情念の動きの上に組み立てられた物語であり、「現実味」に乏しく、登場人物たちの行動は不条理なほどに現世的なルールから逸脱した、求道者たちのものだったとすると、スカーレット(1、2、4章)では反対に、現世的なルールに縛られながらもその中でゲームを楽しむ登場人物たちの姿を見ることができる。朱における赤い色は銀糸という幻想的な宝物を示していたけど、スカーレットにおける赤い色は、家柄に由来する権力や家族の絆というような地上的な関係性を指すもの。
 「高級諜報員」が君臨する世界というルールはその世界のプレイヤーたちには受け入れられており、その中でみんなが権力を求めて動く。野暮なつっこみをいちおう入れておくと、今の時代に政治的な権力に肯定的なイメージを持つ人はどちらかというと少なく、政治家や外交官というのはその実際に持つ力とは逆にかなり卑しい職業とのイメージが強いと少なくとも個人的には思うわけで、その意味で九郎はやはりどこかうさんくさいし、それに憧れる明人が愚かに見えてしまうところはある。(半分被害妄想だが)政治とは基本的に経済の邪魔をするものであって、経済の調整役に回っているときは見えないので意識されず、経済の邪魔をするときだけ意識されて煙たがられる存在になっていることは政治家自身がよくわきまえていることでもあり、だからこそ例えば、皇帝と揶揄されるプーチントップセールスに熱心なビジネスマンとしての活動や経済政策が評価されたりしているのだろう。そうした意味で、この作品で政治とか外交の駆け引きとかが描かれているのはハリウッド映画のような娯楽の一要素、僕らを脅かすことがないおとぎ話の世界のことであるのは仕方がないし、それは製作者の戦略的な選択なのかもしれない。とはいえ逆に経済のテーマに走られたら、いくらおとぎ話的なご都合主義と混ぜたとしても、それはNG恋のようなこちらの精神に負荷がかかる話になって疲れるから困るということもある。
 朱にしろスカーレットにしろ、登場人物たちが世界のルールを受け入れているからといって、世界がやさしいわけではなく、残酷な機械のようにじりじりとすり潰そうとしてくる。少なくとも普通の意味での平穏な「日常」はない、というか、ないものとして描写されない。「日常」は「非日常」に脅かされつつ獲得される特殊な日常としてしか存在しえない。象徴的なのは、明人としずかの島での生活のエピソードで、それだけ取り出してみると浅羽と伊里野の南海の楽園逃避幻想の実現との見たくなる魅力的なシチュエーションのはずなのに、その期間は思いがけず短くされて終わる。というか、3ヶ月だからそんなに短くはないともいえるのだけど、描かれるべきことが起こらなくて短く感じられてしまう。やさしくない世界においては、自分たちが存在しているだけで罪の連鎖はどこかで続いていってしまうから、完全に自律した楽園はない。押し潰されないためには動き続けるしかない。ねこねこソフトのシリアス系の作品では、運動が止まったときというのは描かれない空っぽな日常か、そうでなければ残酷な機械のすり潰しをじっと我慢して耐えているときであり、そのうちに耐えられなくなり、完全に押しつぶされる間際に「日常」が幻視される。世界と折り合いをつけられて、実際にその日常が手に入ればハッピーエンド。そうでなければ「日常」の幻想は他の誰かに手渡される。
 自分は馬鹿なので朱やスカーレットをプレイした後の感覚をどうやったらうまく言葉に出来るか、さっきから試しているけどなかなかうまくいかないが、たぶんこの「幻想を手渡される」感覚が全てなのだろう。それはそのためのいわゆる泣き所のシーンにしてもそうだし(久しぶりに泣かされ)、それ以外の「移動の痕跡」としてのプレイ後の記憶にしても。どうやっても自分には言葉に出来ないので諦めたほうがいいのだかそれでも敢えて言うと、BGMの曲調とか、あとは特に立ち絵の顔の表情とか、何か絶妙なものがあるのだろう。そらいろの感想でも少し書いた気がするが、ねこねこ作品は立ち絵の表情、特に子供のように素直な女の子が不安を感じたり喜んだりするのを表す表情がとてもうまくて、デフォルメやわかりやすく強調された表情が安易に用いられがちな昨今、ONEの時代のような落ち着いた品のある顔を見せてくれる。ニネットなどはサブキャラなのにもかかわらず、あの表情のおかげで無駄にといっていいほど存在感があったり(反対に美月は目の色が残念だった。レコンキスタにもあったけど、表情の落ち着きがなくなるので目の色はあまり妙なのを使わないでほしい)。顔の表情だけでなく、体の線とか肌の質感とかも繊細で、痛々しくさえある。narcissuに自分が思ったほどのめりこめなかったとしたら、それはたぶん絵が違うことが大きいのだと思う。まあ、ねこねこ作品の叙情性と絵の関係については誰かエロい人にきっちりと説明してほしいところ。
 そういうわけで、つらつら書いたまままとまりのない感想になってしまったけどまとめると、朱とはいろいろとつくりが違う作品だけど、ねこねこらしい情感は健在でよかったなと。