- 作者: 森薫
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2009/10/15
- メディア: コミック
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だからこそ、せりふが少なくて抑制気味だけどじっくり鑑賞できるエピソード、アミルとタラスの話がよかった。特に新しい何かがあるわけではないのだろうけど、小さな夫に一途なアミルと、悲しい未亡人のタラスの美しさには抗えない。双子姉妹はキャラデザはよいのだけど話の展開の仕方にデフォルメ感が強すぎて、ドタバタと落ち着きがなくて疲れたし(ただし、双子を独立した人としてではなく、二本の線のような一種の文様としてみるとその運動に嘆賞できるし、爽やかな読後感ではある)、男どもの戦いの話は男どもの身体に視線を這わせても仕方ないので普通のアクションマンガとして読まざるを得ず、アニスの話はなんかもう絵的にも別ジャンル過ぎてハラハラした。パリヤさんは表情はいつも落ち着かないけど、嫁になるために一生懸命な姿は素晴らしい。
作者が自分と同年代で、中央アジアの衣装フェチであることが作品の動機になっているというが親近感が沸く。中央アジアはこの作品の時代からだいぶ変わってしまい、それは作中でも影を落としている西洋文明、というかロシアとソ連のせいであり、今では石油・ガスが出る国と出ない国に二分された感がある。出る国(カザフスタン、トルクメニスタン)はオイルマネーで今のロシアの都市部ような殺伐とした景観を保っており(農村部とかはソ連の農村的な何か)、出ない国(ウズベキスタン、キルギス)は貧しいまま、人々はロシアなどに出稼ぎにいってどうにか生きている。知り合いでキルギス人の嫁と結婚した日本人がいるが、嫁の村での結婚式は大層な見物だったそうな。この作品は19世紀のウズベキスタン辺り(ブハラとか)がモデルになっているそうだ。僕は中央アジアはカザフスタンしか行ったことがなく、中央アジアで一番経済規模の大きなカザフスタンは上に述べたとおりの有様だったので(料理は確かにああいうのが出てきたけども)、もう少し南の方、サマルカンドとかブハラとかタシケントとかフェルガナとかをいつか旅行者としてみてみたいというのはある。昔、ウズベキスタンの国歌の詞を作ったという詩人が来日したときに話を聞いたことがあるが、かの国は中世のイスラム詩人アリシェル・ナヴォイの故郷であるとか古めかしい話ばかりしていて却って好感が持てた記憶がある。中世イスラム詩といえば、花や女や酒をテーマに、編み物のように脚韻やフレーズが反復されて絡まりあった典雅な様式で、まさにモスクの唐草模様や女性の衣装の文様のイメージである。といってもそれは素人外国人のオリエンタルな妄想であり、よく資料を研究している本作であっても果たして19世紀の一般人が日常的にあれほど美しい服を着ていたのか分からない気がするが(着ていたとしたらかなり裕福な人たちだったように思う)、そこは優しい幻想であってもいいのかな。嫁入りという出来事はいつの時代にあっても重要な人生の転換点だったし、とても美しい何かだったのだろうから、それを主題に据えただけで本作は正しさを手に入れている。結婚に至るまでを描いたモンゴメリの小説も昔たくさん読んだが、こうした話は何度繰り返してもその度に美しく、その意味では抽象的な美しい文様のパターンと同じなのかもしれない。
森さんがわざわざ中央アジアに取材に行かれたというのは嬉しいことで、次巻以降にその成果を期待できるそうだ。僕も以前、有名なマンガ家(本人ではなく出版社の担当編集の方だが)のロシア取材に協力したことがあるが、ロシア編はいつ始まるのだろうか。ともあれ、現実を美しい幻想に作り変えられるのは羨ましいことで、ありがたいことだ。