陵辱入門

0号線さんのところから。参考になるので全文引用。

 何者かへの復讐であったり自意識の表明であったり、支配欲であったり顕示欲であったり、思想であったり純粋な快楽であったり・・諸々の要因が合わさる事により陵辱の衝動は生まれる。陵辱の性表現は基本的に愛情への不信によって始まることが多い。それは純愛における一定個人へ向けた愛情とは違い、愛情という物そのものに対する不信から始まる。その意味で陵辱というのは純愛よりも一層観念的な行為であり、現実で実行する事は限りなく不可能に近い。仮に法律という条件を抜きにしても、可能性には何ら関係がないだろう。むしろ法律という足枷を外す事で陵辱という物の形は失われてしまう、陵辱は抵抗により成立する物で許可された陵辱などというのは語彙矛盾に等しい。無法地帯で行われるセックスにエロスはない、肉体の抵抗というのはいつも虚しく、どれだけアブノーマルなセックスも一つの運動として片付けられてしまう。
 陵辱というのはそのただの運動をどこまで背徳的なもしくは神聖な行動として表せるか、という一点にかかっている。反復し繰り返されるセックス、その滑稽な運動にどうすれば道徳を付加できるのか、というのが宗教の役目だとしたら。それをことごとく破戒することに陵辱の価値はある。つまりセックスがフリーな物になればなる程、陵辱の価値も下がる。服を脱がす事に価値があるのではなく、生産の役目を剥奪させ快楽その物を浮きぼりにすること、その過程にだけ意味がある。陵辱には本来、目的も対象者もなく結ばれる事も離れる事もない、そして行為する者はいつも生活から断絶されている。目的や対象者への行為ではなく、目的や対象者を失うことに行為する理由がある。純愛はセックスにより純愛に帰るという構造をよくとるが、陵辱はセックスにより何処かへ帰ることをしない。陵辱は挫折が前提となっていて、挫折から始まって挫折に終わる。悪意から始まる陵辱はなく、多くの陵辱は善意の挫折から始まる、善意の純粋性が失われた所から陵辱者が行為することの意味が生まれてくる。それは何者か特定個人の持つ悪意により汚された善意などではなく、性的観念そのもにより穢された善意であって、それだからこそ陵辱者はセックスを過程とする。セックスを日常に付属する運動ではなく、日常から切り離された観念にすることでその純粋性を保持しようとする。生産行為からの純粋な生命の誕生ではなく、その逆を貫通する事により純粋性を得ようとする行為が陵辱の本質だ。
 しかし残念なのは陵辱モノと呼ばれる作品の多くは、あまりに物語性に欠けている。それは多分ニーズによる物かもしれない、もしくはストーリーの構築という作業と陵辱という破壊行為では相性が悪いのかもしれない。けどやっぱり脈略のないセックスの連続というのは背徳の表現としても弱いのではないか。それは確かに一つの現代的でシュールなユーモアにもなり得るけど、基本的にシュールにするにはマンネリ化しすぎだし、ユーモアの一回性も失われている。物語としては破壊を描くにはそれ以上に日常を描く必要がある、世界観が構築される前から破壊しても何も面白くはない、完璧に出来上がった物語を壊す方が何倍も面白い。陵辱には後ろ盾がない、涙や笑いという健全な逃げ道は用意されていない。描かれるものは不道徳な他人の嫌悪感を煽るものばかりだ、しかしだからこそ技術と理知は研ぎ澄まされているべきで、陵辱はその技術のみによって支えられている。目的もなく積み上げられた砂の山を壊す快感、おそらく陵辱いうのはそういった無邪気な快楽で、社会や日常とも関係はない。孤立した世界観の陵辱、一人で創った砂の山を一人で壊す事の連続。どれだけ偉そうな事を言ってもどれだけ知的に振る舞っても、どれだけ乱暴な事をしても残酷な事をしても、壊している物は砂に過ぎない。一瞬で風化される孤独な作品があるばかりで、風化される位なら自分で壊してやりたくなる、そうやって陵辱は繰り返し生産されていく。壊すことを前提として作られる物語、目的もなく壊す事を目的として作られる物語、作品が忘失されることの意味は生産することの意味に等しいように思う。

 感覚的に好きになれないものに対しては、とりあえず観念的にアプローチしてみるに限る。分かりやすい説明で、これなら僕にも覚えがある。探し物とかで、あと少し続けてみて切りのいいところまできたら止めよう、と思いながらなかなか止められず、次第に集中力も途切れて疲れてきて、終いには楽しんでいたはずのものを憎悪するようになる・・・。壊すことに倒錯的な快感を覚えるようになる・・・。これって自分の大切にしていたはずのものを壊して喜ぶんだから、ドストエフスキーのぼた雪にちなんでなんかでもお馴染みの一種の自傷行為だよな、って思うのはロシア的過ぎか。
 壮絶な体感があるんだろうけど、これで抜けるっていうのがどうもなあ。陵辱対象を完全に壊してしまった瞬間にこちらの性的興奮も最大に高まるってことでしょう。陵辱行為を続ける手とそれを見届ける頭ばかりに血が行ってしまって、肝心の下半身には下りてこないような気がするんだけどなあ(陵辱シーンで抜いたことがないわけじゃないけど)。まあ案ずるより生むが易しってことで、怖くて正視できるか不安な瀬里奈の陵辱ルートは、こんな(;゚∀゚)感じで駆け抜けちゃうしかないか。砂の山に過ぎないとすれば、それは純愛ゲーマーにとっては救済の抜け道ともなりえるわけだし。