ている・ている (70)


(一言感想)
 動植物学や民俗学における圧倒的な博識や、換喩的な凝った比喩は素晴らしい。しかしキャラに感情移入できず、心を動かされることはあまりなかった。一応、神樹の館と同じ民俗学系の館モノで、こっちのほうが非凡な感じだけど・・・


(長文感想)
 薀蓄の濃さに負けないくらい、ヒロイン達や主人公の抱えるべき心理的な問題も濃く描いてほしかった。主人公が薀蓄を披瀝するばかりで、なぜそこまで薀蓄に憑かれてしまったのか、その背景に触れるような記述はなく、彼の精神的な弱さや脆さが露呈することもなかった。私はダメ人間なので、そういうのがないと共感しにくいようだ。あるいは、同じく薀蓄を愛する人間の近親憎悪なのかもしれない。「知識=力」になってしまうような、「教える側」と「教えられる側」という対人関係に、主人公は自嘲しながらも居座っているように感じた。しまいには薀蓄のしつこさに嫌気がさしてくるわけだけど(Hシーンの最中も辞書を引いてました)、この作品は、自然科学の目が見せてくれる面白さが主で、ヒロイン達はそれを伝えるための媒体という従、というウェイトなように感じた。一周したら物語はほぼすべて分かってしまうので(だからお気に入りヒロインは後回しにしないのがいいかも)、他のヒロインのところを消化しているうちに物語の印象がかなり薄れてしまった。
 シナリオ構成の点から見てみても、各ヒロインは独立しておらず(個別シナリオなし)、主人公も無節操なことに自覚なし(相手がモノノケだから狂ってて丁度いいのか?)。恋愛要素も希薄。一応章分けされているけど、イベントはスルスルと芋蔓式につながっているというか、夢遊病者のようにずれたタイミングでフワフワと起こっていくので、あまり章分けの意味はない。ちょっと宮澤賢治に通じるものを感じた。OHPで公開されている外伝「樹雨」も賢治の短編のような味わいがある。


 絵はHシーンがやや弱い。意地の悪い見方をすれば、キャラデザ自体が、設定や薀蓄のつぎはぎでできているかのような本作を表し、ごちゃごちゃしたコスプレくさい。音楽は軽く、特に和風を強く感じることはなく、ふつう。コマ・ソロ・ミンの声は好きだけど、声は全体的に問題ありだと思った。というよりはしゃべらせるセリフに問題あり。主人公の薀蓄・解説への応答が大半なので萌えられない。「あはは☆」とか「〜なの」とかでごまかさないでほしかった。気のせいか、Hシーンになると硬い二文字の熟語が増えていたようだけど、これはなんだか漢文の書き下し文を読んでるみたいな感覚になり、特徴的ではあった。その気になれば楽しめた。


 好きなヒロインはミン。見せ場が前半で出尽くしてしまうのが残念だった。コマとソロもいいキャラだけど、主役なのにも関わらず見せ場自体がほとんどなかった。川姫はロシアのフォークロアではメインヒロイン級の知名度だけど(ルサールカ)、本作のルルコは声も容姿もシナリオもいまいちだった。


 妄想を少々。
 うろ覚えだけど、かつてヤコブソンは、文学作品の原動力を隠喩(メタファー)的な想像力と換喩(メトニミー)的な想像力に分けた。私の理解では、メタファーは感覚的に似たものを集めてくるのでイメージが平行方向に増殖して、神話的な求心力を持つのに対し、メトニミーは、機能的に似たものや連続したもので置き換えるので、イメージは一箇所で増殖せず、転進し、遠心力を持って拡散する。メタファーは繰り返し、畳み掛け、言葉の即物性はエモーショナルな音楽のなかに融けるが、メトニミーは逸脱し、脱臼させ、即物性を強める。ヤコブソンは同世代の未来派の詩人たちの中から、メタファー的な詩人としてマヤコフスキーを挙げ、メトニミー的な詩人としてパステルナークを挙げていた気がする。マヤコフスキーが二元論や自我を歌う近代詩人だったのに対し、パステルナークは、初期の「わが妹人生」から晩年の「ドクトル・ジヴァゴ」にいたるまで、その拡散する即物的な眼差しで自然の汎神論的な営みを体現した。前置きが長くなったけど、本作のモノノケの世界は汎神論的な世界であり、だからテキストもプロットもはあれほどしつこくメトニミックに逸脱し続け、動植物の特徴を微細に描写し続けるのではないだろうか。
 予め調べて用意していたフレーズをつぎはぎしてるだけ、という意地悪な見方はここではしない。メタファー的な作品にはさしずめ、語彙が少なく、畳み掛けによる抒情性が強い、Keyの作品を挙げておこう。(ここでのメタファーとメトニミーは、それぞれの古典修辞学的な定義を超えており、厳密な意味での学術用語とするには微妙で、図式化のための作業仮説的概念とするのが無難)。本作の「汎神論的」な世界を私があまり楽しめなかったのは、主人公と彼の語り口に抵抗があったからだと思う。いつの間にか私も薀蓄(というか妄想)を語ってしまったが。それにこういう構造をしている以上、プレイヤー対ヒロインが一対一の関係を結ぶキャラゲーにすっかり調教されてしまった私には、かなり入り込みにくいのかもしれない。ヒロインとの一対一の世界に閉塞しようとせずに、本作に高得点をつけている人たちのように、雰囲気に浸り切ってしまうのがいいのだろう。


 物語に起承転結のメリハリがないのも、始終明るい雰囲気なのも、本作の豊かな知恵袋から、知識を汲み尽くすまでテキストに浸るためなのかも。まあ要するに、ケモノ娘たちと戯れながら比喩や薀蓄を楽しみなさいと。