シンフォニック=レイン (60)

 反射神経と根気のない私には、特に演奏パートがネックとなって、最後まで不協和音が鳴り止まなかった。普通に考えればクラシックの音楽院と岡崎律子の歌は全然合わないはずで、作品全体が癒しの雰囲気で満たされながらも、そういう居心地の悪いセンスが無自覚に顔を出している。テキストに読みごたえがないのもきつかった。水彩主体の絵はどれも素晴らしかった(とくに壁を登るフォーニ)。


(長文感想)
 最後の演奏は練習不十分なまま突入して、感動台無しのままエンディングを迎えてしまった。挑戦しなおしてどうにか卒業はさせてもらえたけど、それでも、こんな演奏で人を感動させられるなんてちゃんちゃらおかしいことは、僕自身がよく分かっている。こういう、自分とゲームの距離をことあるごとに感じさせられ、苦笑することしきり。


 岡崎律子の音楽は小奇麗すぎて信じ切れない。音楽のことは全然知らないけど、彼女の声やメロディは(歌詞はいつも意識的には聴かないので分からない)優しすぎる。あまりに優しすぎると、人工的な気がしてくる。この作品を構成する雨や音楽院やカトリックの聖堂や音楽のレッスンは、僕が普段それらに対して持っているイメージの中から、優しさの部分だけ(というのは言いすぎだが)を取り出してつなげたように見えてしまう。ほかの生々しい部分がさっぱりそぎ落とされているので、きれいなデコレーションのように見えてしまうのだ。ヒロインの生々しさが露呈するはずの部分でさえ、テキストは大した切れ味もなくおとなしいまま。僕が疲れた社会人になったら、そんな小生意気なことをいわずにこの癒しの世界に浸れるのだろうか。それとも、この非人間的なまでの小奇麗さこそが悲劇的なのだ、名門貴族とシンセサイザーという組み合わせに何の疑いも抱かないほどに我々の感性は衰弱しているのからリアルなのだ、とひねって受け入れるべきだろうか。


 そういった演出的なまずさを除いて、ヒロインたちのいいところだけを思い出して振り返ってみると、実際いいヒロインたちだったような気がする。声と絵がよかったのだろう。テキストが退屈でクリック連打していたため、しゃべるのが遅いリセはあまり声を聞けず、印象も薄くなってしまった。
 あと、フォーニのフィギュアは出来がよい。作品をもっと楽しめたなら、もっと愛でることもできるのだが、そのためには相当脳内補完しなきゃならない。


 まとめると、音楽が主要モチーフの作品なのに、その音楽が合わなかった、ということになる。まあ、白状すると、感情移入できればある程度は気にならなくなったし、しっとりとした読後感はよかった。
(追記)
 岡崎律子の音楽は小奇麗すぎて信じきれないといっても、だから嫌いということではない。深く聴いてないのでとんちんかんな感想かもしれないけど、まるで妖精の音楽のように優しく、どこまでいっても人間的な汗臭さや粗雑さに突き当たることがないので、聴き手が善意を持っていれば決して裏切られないような気がする。ただこれは純粋に音楽のみで聴いたときの話で、このゲームではいろんな不協和音があったように思うのだ。岡崎音楽の善意にも関わらず。とはいえ、あるいはそれも見所の一つなのかもしれない。