中平耀『マンデリシュターム読本』

マンデリシュターム読本 (ロシア作家案内シリーズ)

マンデリシュターム読本 (ロシア作家案内シリーズ)

 あのマンデリシタームが、ある程度とはいえ、分かりやすく解説されている。というのも比較的わかりやすい詩が選ばれ、簡潔ながらしっかりした注がついているからで、読後にほかの詩を読んでみたら、やはり分かりにくい。フレーズが奇抜というのもあるし、それを支えるレアリアが濃すぎるのだ。マンデリシタームはソ連崩壊後には第一級の研究者達が飛びついた人気の研究対象で、誰かがその詩は難解でするめのように噛んでしゃぶって読んでいかねばならない因果なものだといっていたが、外国人にはさらに壁が高い。アカデミックな出版では異色の詳細な注をつけた2001年のガスパーロフ編詩人叢書版は、本書の中平氏は残念ながら参照していないらしいが、それでも誤訳は比較的少ないようで、20年マンデリシタームを読んできた氏の余裕が見られ、訳文もけっこう丁寧。とはいえ「ダンテについての会話」や「無名兵士の詩」などの後年の作品では、プライベート化し難解になっていくマンデリシタームのロシア語についていくのが精一杯という感じで、けっこう読みにくい。それに当然ながら、原詩の持つ韻律は全滅しており、自作を滑稽なまでに陶酔的に朗読することを愛した詩人の、音声的な形式美は、あまり美しくない何か別のものになっている。ボリス・ウスペンスキーやワレーリイ・グレチコ氏がいうように、マンデリシタームの詩のイメージの突飛さは、意味ではなく音に動機付けられた語結合に由来することが時としてある。この辺はもうひたすらマンデリシタームの詩を読んでいってその語彙に慣れていく肉弾戦が必要になる。日本にも若い研究者がおられるので、いつかもっと読めるマンデリシタームが出るだろう。後年の絶唱の一つ「無名兵士の詩」(1937)は15年くらい後に書かれたパウル・ツェランの詩と比較されていたけど、僕には15年くらい前に書かれたフレーブニコフの「ラドミール」(調和世界)が思い浮かんだ。同じく星と光の世界や、墓と輪廻の思想や、国土や戦災について圧倒的な強度で書かれた詩ながら、フレーブニコフのほうは革命の悲劇的な熱狂を天使のように無垢で残酷な声で伝え、マンデリシタームは粛清にボロボロに痛めつけられながらも地上から星の世界に挑む人間の誇りを伝える。そして予想通り、語彙はかなり似ている。でもマンデリシタームは分かりにくい。フレーブニコフには古代人のギャグのようなナイーブで切れ味抜群の、しかし微妙なユーモアがあった。マンデリシタームは近代人だ。言葉は選び抜かれて狭い空間に詰め込まれ、詰め込まれすぎて意味的なフレーズの単位が短くなって、分かりにくいイメージが窮屈に並べられているだけのような感じになることもある気がするんだけど・・・それは単なる読解力不足か。バッハやラシーヌと対話しながらも、彼らを近代人として扱う。それがアクメイズムの支柱たるゆえんなのだろうけど、それでも彼は次第に未来派に近づいていく。「ダンテについての会話」で、『神曲』を鉱物の結晶組織に似た自然科学的な構造体として捉えるくだりを読みながら思い浮かんだのは、こんな感じの絵を描いていた偏屈なアヴァンギャルド画家、フィローノフの世界だった。


二つの頭


山羊


 それはともかく、久々に濃い言葉の世界に触れた。最近は分かりやすく噛み砕かれたものばかり読んでいたから、懐かしかった。またいつかロシアの詩も読んでみよう。マンデリシターム、パステルナーク、アフマートワ、クズミン。ブロツキー、レイン、アフマドゥーリナ。やっかいな大詩人はいくらでもいるんだよな・・・。
 最後に「無名兵士の詩」を。中平訳は誤訳が散見され、解釈の違いもけっこうあるので、拙訳で。訳してみて改めて思ったけど、やっぱ大変だ。100編以上訳しただけでも本書はすごい。注も中平氏がけっこう入れているし、ガスパーロフも丁寧に解説しているけど、ここでは割愛。初稿に含まれていたナポレオン戦争のくだりも割愛。気が向いた人は読んでみてください。いくつかの意味論的なカテゴリーがあります。星、運命、スターリンのテロル。戦災、戦闘機、毒ガス兵器。ライプニッツモナド(「窓のない海」)。理性、頭蓋骨。光、相対性理論、膨張する宇宙、赤方偏移現象、過去の戦争と未来の戦争、白と赤 etc, etc... 残念ながら、脚韻とリズムは僕も再現できませんでした。でも中平訳よりは読みやすくしたつもり。



無名兵士の詩



この大気を 証人とするがよい
その心臓の 射程は長いのだし
掘っ立て小屋たちの 中を見てみれば
そこには 何でも食べて よく働く
窓のない海――物質――がいるのだから。


あの星たちの なんとしつこいことか!
奴らは全てを 覗き込まないと気がすまない――何のため?――
裁判官と証人を 断罪するために
窓のない海――物質――を覗き込む・・・


無愛想な種まき人にして その名無しのマナである
雨は 覚えている
空の海 地の海に
十字や楔が びっしり打ち込まれた様を。


冷たく ひ弱い 人々が現れ
殺し 凍え 飢えるだろう――
そしてあの 名高い墓に
名無しの兵士が 横たえられる。


飛び方を忘れた ひ弱いツバメよ
ぼくに教えておくれ
舵もなく 翼もないのに
どうやってこの大気の海と わたりあうのか。


そして レールモントフに代わって
ぼくが君に はっきりと教えよう
猫背の直すのは 墓だけだ と
大気の墓穴が 呼んでいる と。



ざわざわとうごめく ぶどうの粒たちで
あの世界たちは ぼくらを脅す。
略奪の町々となって 金色の失言や中傷たちとなって
毒々しい寒さの イチゴたちとなって
宙に浮かぶ 伸縮自在の 星座たちの 天幕――
それは 金びかりする 殺人の脂・・・



アラビアの どろどろごちゃ混ぜスープは
挽いて捏ねられ 光の筋に 成り変わり
ずれた靴底で ぼくの網膜に立つ。


意味もなく殺された 幾百万もの人々が
虚空で 道を 踏み固めたのだ――
今はもう 彼らに休息を。 お休みの挨拶を
土の砦を 代表して 送ろう。


堀をめぐらせ 賄賂も通じぬ 空――
死の 大量卸売りの 空――
全方位的な お前を追って お前から逃げて 
ぼくは暗闇の中 くちびるとなって駆ける――


掘り返されたり 盛り上げられた 土や石の斜面を
ゆっくりと 煙りながら 漂う 彼
それは 壊された者の 墓たちの
不機嫌なあばたづらをした 賎しい守護霊。



一兵卒の 見事な死にっぷり。
夜の合唱は よく響く
シュヴェイクの 平たく潰れた 笑みの上に
ドン・キホーテの ひょろひょろの 槍の上に
騎士殿の 鳥みたいな 足の甲の上に。
そして 人も不具も 仲良く お仕事。
今世紀の 木戸たちを コンコンと
たずねて回る 松葉杖家族――
おい 同志よ同志 地球よ地球!



こめかみからこめかみまで 額いっぱい
頭蓋骨が 発達しなけりゃならないのは 何のため?
大事な眼窩に 軍隊が
流れ込むのを 防ぐため?
生きてりゃ 頭蓋骨は 発達する
こめかみからこめかみまで 額いっぱい。
からかいたくなるほど 綺麗な継ぎ目、
高々と持ち上がる 聡明な円屋根、
思想に沸き立ち 夢の中でも自分を見る
盃たちの盃にして 祖国たちの祖国、
星たちで 縫い取りされた 頭巾、
幸せの頭巾 シェークスピアの父・・・



明澄なことトネリコの如く 慧眼なことカエデの如く
かすかに赤みを帯びて 我が家へと駆けてゆく。
まるで ぼんやり火の残る 両天を
失神たちで 埋め尽くすかのように。


過剰なものこそ われらの友
行く手に待つのは 閉塞ではなく 計測。
生きるための空気を求めて戦うこと
その以上の名誉はない。


半分は気絶しているような 日々の暮らしで
自分の意識を 埋め尽くしているぼくは
選ぶ余地なく この煮汁を飲むのか?
火の下で 自分の頭を 食べるのか?


空虚な空間に 魅惑の入れ物が
用意されているのは 何のため?
白い星たちが かすかに赤みを帯びて
自分の家へと 帰るため?


聞いているか? 星たちの継母 夜よ
これから何が起こるのだ?



大動脈たちに 血が注ぎ込まれ
並んだ列の間にささやき声が起こる
――生年月日は94年・・・
――生年月日は92年・・・
ぼくも 擦り切れた生年を 握り締め
みなと一緒に 血の気のない口で ささやく
生年月日は 頼りない91年の
1月2日から3日にかけての夜
そして 世紀たちはぼくを
火で取り囲む。


1937年3月1-15日