音楽と絵(カーニバル)

 こんなに中毒的にはまったのは2005年10月にやったうたわれるもの以来かもしれない、CarnivalのBGM。「夜の情景」を一日に20回とか聴かないと力が出ない。聴いても逆に吸い取られているのかも知れないけど。さすがにそんな感じで3日も経つと底が抜けてきてしまって、物語の印象がだんだん歪んできてちょっと後悔している。この3日の間に試行錯誤した結果、結局パソコンのレコーダーからBGMを録音して、それをちょっとノイズカット編集して、CDに焼いてから携帯プレイヤーに取り込んだ。多分CDなんて売ってないだろうし、音質はあまりよくないけどこれで我慢するしかない。吸い出そうとしたけど、苦労してやっと出てきたOggファイルがなんか再生できないやつで行き詰ってしまったのだ。でもできた頃にはもう飽き始めてしまっているんだよなあ。
 本作の絵について補足、というか訂正。絵が説明的で一義的過ぎていまいちだ、なんて書いたが、音楽を聴きながら通勤途中とか眠る前とかに思い出していると何だかじわじわと沁みてきた。エロゲーの一枚絵は構図とか質感とかで静的というか観賞用にしっとりと止まっている感じの絵が多い。本作の川原誠さん(とグラフィッカーの人たち)の絵は、動いているのを一瞬だけ止めて、次の瞬間にはまた動き出しそうなのが多い。描画法とかのことは専門的には全然知らないのであれけど、ようするにバネが効いた感じの輪郭やポーズ。これが一番よく効いてくるのは子供時代を描いた一枚絵。あのデモムービーに出てくる子供理紗と子供武のカット、あれ、いい。あのシーンと重なるボーカルのメロディも。あの止まった一瞬はあまりにも濃すぎる一瞬。つまり、描画法が静的で観賞用的で抽象的で自律的であることと(すいません、言葉の使い方めちゃくちゃです)、その絵が鑑賞者にとって多義的で開かれた、濃い印象を与えるかどうかということは、別に因果関係で繋がっているわけではないと。その絵が自律的でない説明イラストだったとしても、その説明すべきシーンが物語の中でどんな機能を担っているかによって、きわめて雄弁な絵となることもある。萌えオタを右派としては、萌えは属性や記号ではなく物語の有機的なつながりの中で醸成されるべきものと見るので、こんなふうに濃い一瞬が鮮やかに切り取られていると唸らされる。そういえば昔読んでいたフォーチュンクエストのイラストもずいぶんお世話になった。
 Hシーンの絵については、一番残念なのは目をつぶっている絵が多いこと。エロ絵はできれば自律的にエロくて美しいものがよい。止められた一瞬ではなく行為の最中ですから。ただし前戯的なパートではそういう面白い一瞬を捉えるのもいいと思う。というのも、ロリキャラエロ要員として以外はほとんど意味のないかに見える麻里の、あの綿飴を持っている絵が印象的だから。あのねじれは幼女の身体の魅力を見事に描いていると思う。別にポーズだけではなく、どのキャラもそうだけど、顔の輪郭とか線がいいのが多い。立ち絵の表情の種類は多く、しかし各表情のニュアンスはあまりはっきりとデフォルメせずに微妙なほうが繊細な表現ができる、という法則があると思うけど、この川原氏みたいな線の絵は、立ち絵表現も何か違う方向性を目指す必要があるのでは。正直僕には何も思いつかないけど。