がくえんゆーとぴあ・まなびストレート

 『人類は衰退しました』に続いて個人的にまたもや、社会問題である少子化が、退廃的な気配のする抒情的な物語を生み出せることの好例。ぷにぷにした絵に顔をしかめつつ、ほっちゃんの甲高く甘い声に脳ミソを痺れさせつつ、『フタコイオルタナティヴ』よりも適切な、しかし同じくらい豪華な視覚演出に目を奪われつつ、「どこにもない場所」に巻き込まれて浸り、なんだか感傷的になりました。アメリカには行きたくないのです。あまりに居心地のよい場所と仲間を見つけてしまったら、そこから動きたくなくなる。そんな当然の願いを押し流してしまう冷淡な現実によって世界が回っているのなら、そんな世界に子供を産み落とす必要なんてないんじゃないか、と思ってしまう僕のような負け組みのヘタレが少子化を推し進めているわけで。
 OPが薄暗いのは象徴的だなあと思っていたところ、なんか最終話でオチがついてた。今回もまたもや東浩紀経由で観てみたところ、作品のメッセージはひどくストレートで、ロリコン諸兄向けのカットを手直ししたら、立派に文部省の推薦とかもらえそうだけど、こんなご時世にストレートをやるからこそ退廃的にもなるのだった。まっすぐなことを言うだけで退廃的になるなんて、30年後の世界は泣きゲー的なメンタリティを持った若者にとってはたまらない世界なのかもしれない、というちょっと腹黒い思いも。
 女の子ばかりの世界。恋愛はなくても、生徒会(笑)なんていうモチーフでも泣ける話になる。泣きゲーの原理は女の子との恋愛というよりは、好きになった対象・思い入れのあるものとの別れなのだとしたら、「まなび」と「Air」の差はそんなにないようにも見える。
 それにしても、未来やユートピアという何重もの距離に隔てられてこんな世界を見せられて、途方に暮れるべきなのか、元気になるべきなのか、よく分からない。自分の現実を見たくなくさせることが良質な芸術作品のすることだとは。


追記。
けっこうあちこちで盛り上がってたのか。気に入った文章をメモ。

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20070328/p4
 学美が海外に留学し、生徒会(周辺)メンバーの他の四人が空と飛行機と学美の面影を見上げる、という結末もありそうなものだ。その場合、離別によって学美に対する幻想をそのまま永遠化する結末になる。しかし、幻想を通り抜けて更に成長する結末を取った。今まで述べてきたように、成長できる、成長を決意できるのは光香なのである。
 まなび最終回では、今まで輝きを放っていた学美の存在が、急に小さくなったように感じる。また、光香は学美に対する、依存も含めた疑似恋愛的な感情を持っていたが、それが憧れの対象すなわち「恋」から、想い出すなわち「愛」へと感情が変質している。最終回は、光香が成長して追い越していく視点で描かれているのである。

何だか目が遠くなってしまう。