戯言

 やるべきことをやっていない。適切な生き方をしていない。というあいまいな不安がある。抽象的というにはあまりに心当たりがありすぎるけど。仕事の不安が生活の不安に持ち込まれ、生活が荒れ、それがまた逆流するという嫌な感じ。なかなか成長できないな。景気づけのためにエロゲ-を買ってしまうところがどうもダメだ・・・。エロゲ-はわが負のアイデンティティの拠り所というわけで、霞外籠逗留記が泉鏡花民俗学的な意匠にどっぷり浸されていると聞いて、新品で買わなければというずれた使命感を信じて買い、ついでにサントラCD付ウォーターマット付で2500円だったTo Heart 2 Another days も衝動買いしてしまったのがまたずれを助長したような気がする。空気を入れて禍々しい大きさに膨らんだウォーターマットを横目に、出勤で半分しかなかった週末をTH2ADに費やした。
 動ポモでTo Heartがなんと評されていたか正確な表現は忘れたけど、そのオタク好みにカスタマイズされた終わらない、生ぬるい、ささやかな楽園に東浩紀は驚いていたと思う。それを先に読んでから実物をプレイした僕は、確かにそうかもと思ったけど、若干期待外れに思った。当時のオタク文化To Heartの頃からまた先に進んでいたし、僕の業もこの作品に衝撃を受けるほどには深まっていなかった。TH2は販促の雰囲気が気に入らず、作品としても別に興味なかったので買わなかった。今回TH2ADをやってみて、グラフィックなどではもう古びた感じはしなかったけど、でも作品の雰囲気はTHの雰囲気を思い出し、この雰囲気は偶然ではなく意図的に作り出しているものなのだなと感心した。序盤の不条理なまでに主人公がちやほやされる調和したドタバタの雰囲気・・・あのまま突っ走ってくれれば未来にキスをみたいな危ない方向に行けそうだったのに、その後個別ルートで小さな恋愛物語のほうへ流れた。はじめにやったのははるみシナリオ(あれだけ付きまとわれてうっちゃっておくのは犯罪なので)。メイドロボに心があるという古典的なテーマながら、それでもまっすぐな言葉として元気で可愛くて胸の大きな女の子から言われるといちいち耳を傾けざるを得ない。AURAを読んだ後だと、この作品のヒロインみんなが邪気眼持ちのように思われてしまうが、それでも可愛い女の子たちの出現に心が華やいでしまうし、彼女たちがたとえエロゲーのキャラであったとしても、プレイヤーを全力でもてなそうとする雰囲気にこちらは混乱させられ、流され、結局は依存してしまう。AVの恐ろしいところは、彼女とかいない独身の男がじっくり鑑賞すると、肌とか体の線とかが脳裏に焼きついてしまい、しばらくはすべての妙齢の女性がAV女優に見えてしまうことで、これはかなり有害だ。エロゲーはその点健全で、合体だけではなくコミュニケーションを楽しむことに大きな比重が置かれているので、はまっても実生活において女性への視線で罪悪感を感じずにすむ。だから安心してはまれてしまう。次に進んだまーりゃんシナリオもその次の菜々子シナリオもそう、ありえない状況、ありえない状況、ありえない状況、でも心地よい、楽しい、可愛い、心地よい・・・適切/不適切の境界が崩れ、心地よさと漠然とした不安が残される。
 気が向いたときに和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んでいるけど、これは著者が30歳のとき、ちょうど今の僕と同じくらいの頃に出した本で、若い感性で仏像や寺を鑑賞する目がなかなか面白い。一期一会の機会とばかりに全身で集中して観察し、その歴史的背景を空想する様はまさにロマン主義系の正しい態度。20代のベールイの評論を思わせるものがこの頃の日本にもあったわけだ。著者が日本文化の素養を持ちながらも、西洋的な感性で鑑賞しているのがわかりやすい。唐の時代の中国でギリシャ風のファッションが流行っていたとか、日本の猿楽をディオニュソスガンダーラと同列で論じたりとか、本当かよと思いながらも思い入れたっぷりなわかりやすい空想で楽しい。その古今東西の美にいちいち反応しながらも、和辻自身は自分が適切な生き方をしていると実感が持てず、不安を抱えたまま美に振り回され続けたのだろう。今とはまったく別の時代背景とはいえ、そんなところにもちょっと共感できるかもしれない。
 不適切な生き方。生き方うんぬんを喚かないとエロゲ−を買えないかっこ悪さ。エロゲー自体の心地よさ。