キラ☆キラ (80)


ネタバレ注意


 きらりルート。まさかドストエフスキーRPGが前振りだったとは・・・。それから、タイトルの「キラ☆キラ」にもハピ☆マテとからき☆すたの系譜とは別の意味がしっかり付与されるとはね。終盤はいいセリフばかりで思わずメモってしまった。

「それにね、私は昔から出来れば、いつか社会の歯車って言うか・・・上手く言えないけど、まわりと上手になじんだ優しい人になりたかったの。私、穏やかなのが好き。歌は、大好きだけど・・・」
そこで彼女は俯き、上目遣いで僕を見つめながら、
「・・・そういうキラキラした世界に行くのは、いやかな」

 このキラキラの意味をきらりが引き受けていくというのがまたうまい。冷めた怠け者の主人公と才媛きらりとの対照的な関係がはっきりしていく構成で、全体的に負け組魂というかフリーター魂が炸裂しているこの作品に、きらりという存在が必要だった理由が、きらりにキャラゲーのヒロイン的な、象徴としての意味が付与されていく様が丁寧に描かれている。ただ、ちょっと妙なのは、きらりルート2できらりが決心してから、主人公の影が急に薄くなってしまって、きらりが主人公の手から離れて、「飛び立って」、みんなのアイドル的な存在になったままみたいな感じがするところ。これはハッピーエンドではないような気も?2ちゃんの人が言っているように罪と罰になぞらえるならば、ラスコーリニコフのその後は贖罪の日々になるわけで、語りもそれまでの過剰な心理描写の文体から、いわゆる有名な「神の視点」に転換しているのが、急におとなしくなる鹿之助と似てないとも言えず、鹿之助ときらりが必ず幸せそうかというとそんな描写があるわけでもなく、ちょっと厳しい終わり方のような気もする。どちらのルートでもきらりとの幸せいっぱいの結末は描かれず仕舞なのだろうか。
 あとはまあ、きらりルート1を終えたときには、正直、特典の抱き枕カバーをどうしたものか困ったけど、ルート2を終えて少しは許容できそうな気にもなってきた。いや、なるのもどうかと思うが。
 結局振り返ってみると、前半のバンドパートがシナリオ構成上欠かせない部分になっていることに気づく。特にきらりルート1の方。あれが現実逃避だろうがゆとりだろうがコミカルで埋め草的な「日常パート」だろうがどうでもいいが、通過してきたものとして、「世の中はうまくいかないもの」だけど、そんな世の中で起こった夢のようなものとして、後から振り返って、その後に生きていくための糧となるものなのかもしれない。それはプロットの整合とかいうよりは、やはりトルストイの小説みたいに(あるいはトルストイが参考にしたショーペンハウアーの哲学みたいに?)、何か流れていくもの、その流れの中で引っかかって形を作るもののこと。

何でもかんでも物語仕立てにしやがって。そんなにみんな、ストーリーが好きなのか。俺は断然否定するね。ドラマなんか、くだらないよ。
なあ村上、大事なのは瞬間にすべてをかけることなんだ。パンクロックはスパークだ。そう思わないか?

 こんな台詞を冷めたひねくれ者のはずの主人公に、今ある村上やアキたち仲間とのために吐かせるところにやられた。うまいです。
 彼らの言葉がどれほどの重みを背景に言われたものなのか、それを秤にかけるという行為にはろくな意味はないけど、然るべきところで然るべき相手に言われるまっすぐな言葉には素直に打たれてしまう。

僕らはまだ、人生を楽しむことが出来る。漠然と、もう自分たちは楽しいことが出来ない、してはいけないと決めつけていた。だけれど、考えれば方法はいくらだってあるんだ。

そうだ、なんでもだ。どんなことでもだ。強く、長く、だ。それさえあれば世の中思い通りにならないことはない。俺たちは自由なんだよ。万能ではなくても、とにかく自由なんだ。それは凄いことなんだぜ?

 瀬戸口廉也氏は決して端正でインパクトのある文章を書くというわけではない。そんなに密度が高いというわけでもない。複雑な話を書くというわけでもない。でも自分の文章のテンポを知っているし、自分のテーマ展開のテンポを知っているという感じがする。セールスポイントや客寄せのネタが綺麗に抽出されてしまって、それらを除くと可食部が少ない痩せた作品が多い業界で、地味だけど手ごたえのある、セールスポイント的な部分に回収されないまとまりのある作品を書ける、といったら大げさか。まあそれは絵や音楽との協働のお陰でもあるんだけど(音楽に関しては、結局本作では、とりあえずまあまあのが2曲あったので良しとする。サントラの8と13)。
 CARNIVALにも増して、ヒロイン自体に魅力があるというよりは、主人公との関わりの中のヒロインの魅力。主人公の比重がさらに増しているように思う。ヒロインたちの台詞は特に面白かったりはしない。台詞が面白いのは村上や翠などのサブキャラを除けば、地の文も含む主人公だけである。これは僕も含めた大半のエロゲーマー、エロゲーに病的に依存しているタイプのエロゲーマーにとってはどちらかというとマイナスになる。ヒロインといちゃついている感じがあまりしないから。主人公の面白い物語を読む作品になってしまうから。それでも、トルストイドストエフスキーみたいな小説でエロゲーをやれたら、という変な希望は、ささやかな形で実現されたかもしれない。でもきらりルート2はもう少し先まで書いて、恋愛の物語として締めるのはダメだったのかなあ。ともかく、パンクに仮託して伝えたかったメッセージがストレートに届いた作品でよかった。製作者の方々に感謝します。


(追記)
http://d.hatena.ne.jp/daktil/20071127