恩田陸『麦の海に沈む果実』

麦の海に沈む果実 (講談社文庫)

麦の海に沈む果実 (講談社文庫)

『麦の海に沈む果実』とは、消失した果実が必然的に残したところの、一種の残響、あるいは残映かもしれない。むろん『麦の海に沈む果実』を、ミステリ風味の学園ファンタジーとして楽しむことも出来る。しかし作者や読者と自堕落に密通する物語に辟易せざるをえない読者には、この小説を「それ自身のために存在する物語」が地上に落とした影として読んでみるよう、あらためて勧めたいと思う。
(笠井潔による解説)

 ライトノベルの定義を「アニメ風の表紙やイラストのついた若者向けの小説」などという下品なものではなく、思春期の若者を描いた小説という曖昧すぎてもはや定義とはいえないものにするとしたら、恩田陸の小説は粗雑な最近のラノベ(←偏見)についていけなくなった僕にはまさにちょうどいいラノベなのかもしれない。ラノベに求めるのが強烈な余韻ということならちょっと足りないかもしれないけど、こうして忘れないうちに書いておけばいいわけだ。
 本書が前作『三月は深く紅の淵を』というめんどくさいメタ小説の小説内小説という位置にあるらしく、そこを加味した上での落し所としてうまい解説だと思うが、問題は、単なる影としては(単なるとは言っていないが)面白すぎるところか。物語終盤で主人公の女の子は夢から覚めるように人格を取り戻すことに成功するが、取り戻した人格のほうが嘘っぽいというか、魅力が少ない。仮構されていた世界のほうが面白い。昔『六番目の小夜子』や『球形の季節』を読んだときに思ったことだが、恩田陸という人は思春期の女の子の幻想的な不安を描くのがうまい。男性作家が書くといやらしいし、桜庭一樹とかだとやや安易な感じがするところを、嫌味なく、風通しよく描く(これでも女性読者的には媚びているように見えたりするのだろうか)。理瀬は控えめで内省的で、とても魅力的だ。周りの人間が惹かれてしまうのも自然に思える。その周りの人間たちも、いつもどおり主人公の理瀬とは違ってスペックが高くて付き合い甲斐がある友人たちだ。最近はきちんとした読み物をあまり読んでいなくて物語に飢えていたのでとてもよかった。確かに毎回のように一定の質の内面的な魅力を持った女の子を描く恩田陸の作品は「作者や読者と自堕落に密通する物語」に見えるところもあるかもしれないが、そんな風に言ってしまうのももったいない。むしろこの、理瀬の内面的な魅力とは無縁な感じの、脱臼させるような終わり方が残念というか。あの理瀬をそんな風に終わらせてしまっていいのかよというか。まあこんなところで力説しても仕方ないし、影で、薄暗い北海道で、湿地だからいいのかもしれないけど。迷っていて、不安で、優しいほうが女の子として魅力があるというのは、当たり前といえば当たり前なのかもしれないな。