夜明け前より瑠璃色な Brighter than dawning blue (60)

 無印から追加になった翠とエステルのルートのみの感想。
 翠。実は特に書くことはない。申し訳ないけど。二人の進路が別れてしまうのがなんだか寂しく思える。
 エステル。大局的に見ると、世俗的な感覚を持ち、同じくネイティヴとのハーフである牧師が、赴任地での頑迷な偏見と戦いながらヒロインと結ばれる『セイレムの魔女たち』とは対照的に、このエステルルートでは聖職者であるヒロインの偏見と戦いながら結ばれるのが世俗的な主人公であり、地元の人間たちは主人公に協力する。偏見に囚われているのは社会という外的な集団ではなく、したがって不安や恐怖は外在化されているわけではなく、エステル個人の内的な問題として扱われ、それを取り囲む社会はどちらかというと穏やかなもので、闘争の場は政治の場へと持ち出されている。宗教は個人的な聖域を投影するためのものであり、だからエステルは無遠慮な観光客に自分の心の平安を踏み荒らされるような気がして苛立つわけで、タフでワイルドだったセイレムの過去から穏やかなSFの未来に舞台を移して、宗教が都会的な問題を扱うようになっているのも、きれいにまとまりすぎた話ながら僕の個人的な感覚にも合いやすくてよかった。彼女が質素が生活を守っているのは、意地の悪い見方をすれば、物質的な清貧と精神的な清貧は別々のもだとは割り切ることのできない未練がましさということもできるだろう。身の回りをきちんとして、礼拝堂もきれいに掃除しなければ心の平安を保てないのだ。エステルにとって宗教が個人的なものであるからこそ、礼拝堂を背にした彼女の立ち絵は、その中世の聖像画のような透視図法が威力を発揮する、とても魅力的なものとなっている。えらそうなことを言いながらも身の回りの掃除すらもなおざりになっている自分だからこそ、このルートではやたらまともな言動を弄する主人公にはいちいち首肯せざるを得ないし、真面目な少女には降参するしかなくなってしまう。こちらを見ているエステルの可愛さを愛でつつ、自分はどうすべきかには目を瞑りたくなる。イコンならばこちらが敬虔な気持ちになればいいが、彼女は聖女ではあってもエロゲーのヒロインなのだ。