妖精たちの戯れ (TRPGのこと)

 ここ何日間か、時間があるときはずっとニコニコ動画テーブルトークRPGリプレイ動画「大妖精のソードワールド2.0」を見ていた。TRPGはその昔、中学・高校でロードス島戦記やフォーチュンクエストにはまっていた頃に、やはりソードワールド短編集シリーズにはまり、なんだろうと思って同じ富士見ファンタジア文庫か何かから出ていたリプレイ本というものを手にとって見て、そういうものを知らなかった自分にとってはあまりに内輪向けな世界に、「なんだこれ、きめえ」と受けつけられずにスルーした覚えがある。いくらパステルたちがブラックドラゴンと楽しそうに遊んで見せたとしても、僕にとっては「あまりに濃い世界」ということで、その後もこの世界に入っていくことはなかった。でも今回ニコニコ動画で遊ぶ大妖精やチルノたちを見て、問題はそこだけじゃなかったということにいまさらながら思い至った。エロゲーではけっこうのめりこんでプレイできるのに、TRPGでは(おそらく今でも)無理なのは、それが1人遊びではなく、他人と一緒に楽しむものだからである。人の眼があると照れてしまって集中できないだけではなく、人に気を遣いながらその場を楽しむことに疲れてしまう。TRPGは自由度が圧倒的に高い分、行動を起こすたびにいちいち細かくダイスを振って判定を出さねばならず、作業が煩雑なので相対的に長大なシナリオには向かないと思う(あるいは省略が必要)。考えるまでもなくテーマやトーンに関しても、切なさ溢れる悲劇や狂気の物語をダイスの目にいちいち伺いを立てながら味わうのはやや滑稽な図であり、和気藹々としたゆるくてコミカルなトーンが好まれるのが自然。そんなささやかなシナリオをプレイしながら、楽しむのはシナリオの物語としての深みというよりは、それを演じる自分たちパーティの盛り立てぶりだ。1人だけよがってはならず、全ては冒険者たちのパーティという単位の中で生成され、消化されることを忘れてはならない。RPGの中の世界は孤立しておらず、完結しておらず、安定している。僕たちの住む世界の他にもこれほど自由で広く、自律した世界があるということは、想像するとなんだか気が遠くなりそうになる。いくら現実から遊離していたとしても、というか遊離しているからこそ、悲劇・喜劇を問わず、ファンタジー世界の持つ自由な広がりの魅力は抗いがたい。
 人と一緒に楽しむことを怖がり、いつしか一人遊びの中に撤退してしまった自分にとっては、TRPGは非常にハードルが高いゲームだ。同時にそれに興じる人たちの姿はとてもまばゆい。人というよりほとんど仙人か妖精か何かのように見えてしまう。そうした羨望に引きずられるからこそ、こうしてリプレイ動画を見てしまう。大げさな言い方になるが、動画ではまさに妖精のような妖精たちがまばゆい遊戯に興じており、地上の人間たる僕はそれをこっそり窃視している図である。TRPGをつくる妖精と遊ぶ妖精たちに、神様の祝福がありますように!