メルクリア (70)

 メルクリアのちぐはぐな設定。ヴェネツィアをコピーしたような街並み、公用語は日本語でキリスト教はないのにサンマルコ広場はあるような、日本人にとっての観光地としてのインブルーリア、スパゲッティの種類のような魔法の名称。――こうした欠点でしかありえないようなこと、その罠に気がついたらはまっていた。主人公はひたすら受け身で、収穫祭と学園祭という2つのイベントは、ひたすら「ヒロインが主人公に告白するためのイベント」として用意されている(日未子と亜泉)。女の子が好きな男に告白したいから、一生懸命魔法を練習したり、勉強したりする。何かひねったストーリー的なねじれとか仕掛けがあるとかじゃなくて、ただ好きな男の子に告白したからがんばる、というその健気で純粋な姿(男の目を通してイメージされる少女マンガ的な姿)に、気がついたら陥落している。彼女をそんな風にがんばらせるように仕向けたのは、このおとぎ話のように脈絡なく明るいインブルーリアの世界で、この世界の明るさに流されてみないと勇気を出せず、そしてもうよく分からなくてもいいからとにかく一歩を踏み出してしまった。恥ずかしいけど、でもこんなに明るい世界なのだから、自分が勇気を出してみたっていいだろう、あんまり目立ってないよね…。いや、目立ってますよ、そんな風に一生懸命かわいいドレスを着ていたら。という仕組みだ。かわいい女の子が主人公である少女マンガの、女の子の独白が丸見えになっているかのようなお話。冒険とかバトルとか世界の謎の解明とかはいらない、ただ好きな男の子を前にドキドキしている女の子の幸せを見られればいいのだ。その意味でこの作品のミニマリズムはとても豊かで喜ばしい。
 少し個人的な話に脱線すると、インブルーリアへの「観光」は、まさに留学の感覚だ。エロゲーではたまに留学生ヒロインというのがいるけど、主人公が留学、しかもヒロインと一緒に留学する作品というのはあまりないと思う。留学先では言葉の問題があって外国人の自分は幼稚な会話しか出来ず、クラスメートも先生も幼稚な会話をするため、一種のナイーブな幼児返り現象が起きる。この作品では言葉の問題はないけど、代わりに文化が違う世界で、しかもエロゲー的に善意に満ちてイタリア的に明るい世界なので、同じように幼児返りが起きる。昔僕が海外にいたときは、ロシア語のクラスは自分のほかには韓国男(牧師志望)1人、韓国娘3人、日本娘1人、フランス娘2人というメンバーで、僕以外はみんな屈託のない明るい人たちで、特に笑い上戸のフランス人には癒された。今考えると実にエロゲー的なメンバー構成でありがたいことだった。毎朝教室で会うと、言葉の練習もかねてブルターニュケルトの女の子とかと「今日はいい天気だ」「うん、今日はいい天気だ」「最近新しいことはあった?」「○○へ行ってXXをした」みたいな会話を無理やりして、その不自然さにお互いはにかみつつもちょっと楽しくなるのである。幼児返りは、精神的な若さも連れてくるのか、身の回りのいろんな些細なことがいちいち新鮮で、日々が刺激に満ちているように思えた(その辺のことはネルリの感想でも少し書いた)。ロシアでさえそうだったのだから、ヴェネツィアなら推して知るべしだ。観光客ずれした演劇的な部分が合ったとしても、それはエロゲーのフィルタを通して優しいトーンに染め上げられる。ペテルブルク出身のブロツキーが愛した冬のヴェネツィアは幻想的で陰気くさかったけど、インブルーリアはまったくおとぎ話の世界、爽やかすぎる青い水と、優しすぎる夕日が交互する魔法の国。そんな魔法の力を少し借りて変わってみたいと思う女の子を見ていると、自分もその夢のような空気のおすそ分けをもらえるというもの。留学はやがて終わるけれど、その明るさや楽しさの感覚は消えることはない。
 エルナとリアについては、エルナは止まった時間の中で、リアは残されたわずかな時間のなかで生きている女の子ということで、まあ一通りのエロゲーヒロイン的な設定を背負っていて、幻想世界の女の子との恋の物語を楽しめる。日未子や亜泉とは違い、はじめから美人でスタイルが良くて優秀な魔法使いというステータスを持っているので、下心丸出しでプレイ。この優しい世界はそんな下心も、無防備で優しい物語で受け止めてくれる。エルナは押せば受け止めてくれる女の子で、設定的にとがった部分があるかと思いきや意外に優しい。
 リアは純粋に立ち絵や一枚絵の表情から素直で可愛い女の子のオーラが出ていて、声も優しくて(九条信乃さん)、まったくノイズというかストレスのないヒロインになっている。パッケージの絵でも可愛いと思っていた印象がそのままのヒロインというか。ダカーポとかの絵師さんだそうだけどとてもうまい。問題があるとすれば、こういう抵抗の少ない性格をしているためか、一度結ばれた後も単にお話をしているだけで2人とも満たされ癒されてしまって、ベッドでそのまま眠ってしまうというパターンが多くてエッチの回数が少ないこと。人間は完全に安心できる人といると眠ってしまうということは確かにあり、こうした微笑ましいいちゃつきには確かに微笑ましいし幸福感があるのだけど、プレイヤーとしてはもったいなく思ってしまう。そして、このリアの優しさ・素直さの過剰性は彼女がインブルーリアを支えるという設定的なトリックを経由して、この世界全体に浸透しているような感覚がある。彼女の髪や瞳の美しさはインブルーリアを包む水の綺麗な青とよく調和していて、と書くとなんだか詩人のたわごとみたいになるが、それがとても個人的な創作物であるエロゲーとして実現されているところに密やかな喜びがある。世の中いろんなところに不調和が多いから、綺麗なものはここまで念入りに隔離しないとありえないのだろう。主人公が長い時間をかけてリアを救った後、二人の年齢は離れてもリアは素直で可愛いままだというのは、まったく象徴的なことで、ほろりとさせられる。


参考:つつじさんの感想